韓国料理の力

去る02年12月23日、俺たちは東京は新宿区新大久保駅近くの、ここは日本なのか?と思われる一角にある、韓国家庭料理の店「梁の家」で食べかつ飲んだ。世間では「忘年会」といわれるものだが「クリスマス・イブ」もかねていたし、そしてそんなことはどうでもよく、ただ一緒に楽しく食べかつ飲みたかったのだろうと思う。その場所が、ここ「梁の家」だった。だが、なぜ俺たちは韓国料理を食べるのか。今回この店を選んだのはライターの鈴木隆祐さんだ。

なぜ俺たちは韓国料理を食べるのか。こう考える俺は「国粋主義者」なのだろうか。うるせえ!日本料理の力が足りないのだ!と、はっきり言い切ったらどうだ。いやいや違う。いやいや、そうだ。

ま、とにかく、鈴木隆祐さんの力作、「梁の家」評を読んでほしい。そして俺たちは、やはり、なぜ日本で、韓国料理を食べるのかを考えなくてはならないだろう。以下、鈴木隆祐さんにお願いし寄稿いただいたものを一字一句そのまま掲載する。(写真撮影はエンテツ)


「梁の家」の「梁」は「ヤン」と読みます。

ああ、この鍋の汁をめしにかけて食べたかったのだが……。

旨い飯屋は音でわかる 著=鈴木隆祐
韓国家庭料理「梁の家」の台所から漏れ伝わる美味なる調べ

 韓国にはこれまでに三度行った。うち二度は去年のことだ。四年前の最初の訪問で図らずも取材のまねごとをし、ソウルの一部を隅なく歩いてしまったので、去年の夏はわずかばかり許された休みを、ガールフレンドとその娘たちの僕として、半ちくな観光ガイド役を以て任じての、ソウル再訪とあいなった。彼女らの目的は買物だが、ぼくの目指すところは、忘れがたい本場のコリアンフードの味に浸ることだ。次いで、年も押し迫った一二月初旬、仕事で初めて釜山に赴いたのだが、これも本末転倒というか、余暇にひたすら喰い歩くのが励みとなったのはいうまでもない。
 それっぽっちの訪韓歴で韓国通面するつもりはないが、コリアンタウンといわれる場所には人様よりは足を向けた方だろう。ひとえにコリアの食の魅力に囚われてしまったがためだ。
 もっぱら訪れるのは東京・大久保界隈。そこは川崎や大阪鶴橋、猪飼野といった「在日」が形成した町ではない。いわゆるニューカマー、あちらから直接やってきた人々が築いてきた町である。だから、ストレートにハングルが蔓延り、ソウル風の佇まいの飲食店が軒を連ねる。
 ぼくが大学生くらいの頃だったか、この町は大きく転換していった。今も古株として健在の「ハレルヤ食堂」他、ポツリポツリ程度の韓国食専門店が一気に増殖し、と同時に韓国物産を扱う店も登場、町には多くのニューカマーがビジネスチャンスを求めて蝟集しだした。その中心を成すのはいわゆる焼肉屋ではなく、韓国家庭料理店や居酒屋である。新宿で呑んだ帰り、もしくはその途中、小腹を充たそうと、ぼくは何軒ものそんな店を回った。そして、渡り蟹の塩辛=ケジャンの、唐辛子の激しい辛みと身の甘さの得も言われぬ調和に、まだ若かったぼくの舌はかつてないほど打ちのめされていた。
             
 当時は関川夏央らの諸作で韓国文化への関心が増し、第一次韓国ブームといっていい状況だったが、そんなことよりもぼくを狂わせたのは、あの真っ赤な唐辛子自体からほのかに匂い立つ甘み、人懐っこいテンジャン(韓国味噌)の風味、そして煤けたような白味のマッコルリ(どぶろく)の爽やかな酸味が三位一体となって襲いかかる、コリアの食のダイナミズムだった。

 多くの人がいまだ誤解するのだが、われわれが愛してやまない牛の焼肉とは韓国由来のものとは違う。「在日」の発明品なのだ。われわれが肉といえばいの一に牛を好むのを見て取った在日の人々が自営で生活を立てるために、今の焼肉のスタイルを編み出した。それは韓国の食そのものとはやはり違う、日本の食環境に合わせたソフィスティケーションの成果だ。
 韓国に行かれたなら、試みにタン塩など頼んでみるといい。置いている店自体、そう多くはないが、あったとして決して日本のそれほど美味いもんじゃない。固くて味気なく、値段もあちらの貨幣価値からすれば、べらぼうに高い。
 そう常々思いながら、私は懲りずに前回の釜山行でも、ヘウンデというリゾート地の名物カルビを喰ってみた。それも月見ヶ丘と呼ばれる高台にある、名店の誉れ高い専門店で。ウェイトレスのアガシ(お姉さん)がつきっきりで焼いてくれる骨付き肉は、しかし、なんとも味わいに欠けた。柔らかいが淡白で、日本の牛に特有の香ばしさが感じられない。
                                 
 新大久保駅近くで韓国家庭料理店「梁の家」を営む梁仁さんはいう。
  「神戸牛、米沢牛・・肉は日本が一番ですよ。柔らかくて味も濃厚。ただし、味付けはあちらのほうがいい。日本の焼肉は付けたれの味が強すぎて、せっかくの肉の旨味を殺してしまってる例が多い」
 そう日韓の焼肉事情を解説しながら、梁さんは赤ワインに漬け込んだサムギョプサル(豚の三枚肉)を手際よく、専用の鉄板で焼いてみせる。韓国人が圧倒的に食すのは豚(トゥェジ)。カルビにクッパ、煮込んだ豚足=チョッパルどれもこれも豚。 「豚を食べてたら間違いない」 と弁の立つ梁さんが、肉の塊の表面に焼き目を入れ、いったん取り出して、一口大に切ってから、再び鉄板の上に乗せる。それは内側に向かってくぼんだすき焼き鍋といった感じで、大量の脂が焼くうちに流れ出して、排出口から滴り落ちる。ワインのアルコール分が飛んで、肉の焦げる薫りと一体になって小部屋に漂う。「ああ、たまらない。早く喰いてぇ〜」牛と違って豚だから入念に火を通さねばならないが、それにしても、あちらの人はウェルダンで焼くものだ。小部屋に会した一同がごくり唾を呑み込む音が、脂が爆ぜる音の合間から確かに聞こえた。肉が焼き上がる。「もういいよ」の一声がこんなにも待ち遠しいなんて! 梁さんの号令一下で禁欲とのかくれんぼうが終わる。われわれの箸はいっせいに戦闘態勢に入った。  かつて職場をともにした三匹の侍と二人のくのいちと、特別ゲストの大衆食の会代表遠藤哲夫さんの六名の胃液は、この、お任せコース三千円也の五皿目で沸騰値に達する。ただ粗塩をつけるだけでも美味しいし、味噌ににんにく、サンチュも当然合う。しかし、きな粉をつけていただく驚愕の取り合わせがなにより秀逸。

 もちろん、コースに入る前に、キムチをはじめとする小皿がたくさん並ぶのも、韓国家庭料理の真骨頂。気に入ったものを褒め称えれば、お代わりだってくれるはずだ。ぼくは間違いなく、それらとタン(スープ)類だけで一食済ませられる。
 実をいえば、梁の家の料理は本場の大衆店に較べかなり洗練されているといっていい。しかし、それは単に日本人向けにアレンジしたというのではなく、韓日を股にかけて活躍するビジネスマンを夢み、13年前に留学生として日本に渡ってきた店主・梁さんの「おいしさセンス」の現れだろうと、ぼくは思っている。それは今の韓国でも採り入れられている流儀なのだ。こうした小皿料理からして、そいつが伺われ、ぼくは嬉しくなるのだ。
 むろん、本場の食堂で喰えるものの大概はこの店にある。一口で韓国料理といっても非常に多様なのだが、梁の家はコリアンフード入門店としての役割も遂げ、かつ、マニアックな虎の穴としても機能するから推薦に値するのだ。
 以前、某誌の取材でこの店を訪ねたのだが、その際、グルメ取材の常とはいえ、事前に一件回り、そこでずいぶん腹に入れてしまい、また、写真を撮って後の冷めたものを食したため、この旨さを堪能し切れたとはいい難かった。半年以上ぶりのリベンジに心が躍る。仲間たちも特に批評めいたことを口にするでもなく、ただ無心に次から次へと繰り出される品々を頬張っている。その喜色満面を眺めていると、幹事冥利に尽きると思わされる。
          
 宴はまだまだ続く。梁の家はまた、東京におけるタッ(鶏)カルビの元祖としても知られるが、その評判の品が出てくる。甘辛の濃いめの味つけはいかにも若者が好みそう。大量のキャベツから水分と野菜特有の甘みが出て、ジャンキーだが旨い。ジャガ芋も入ってボリューム満点だ。
 これは屋台料理の代表格、トッポキ(細長い餅と薄っぺらな練り物を甘辛く煮込んだもの)の味わいをヒントに生まれたものなのだそうだ。〆にご飯を入れたり、ジャガ芋で作った麺を入れて楽しむようだが、とてもそうもしてはいられない。なぜなら、次にはプルナックジョンゴルという蛸を使った鍋に突入するからである。
 メウンタンという海鮮鍋に似た味だが、よりさっぱりして食べやすい。大量のニンニクと、唐辛子だけでなく実は胡椒が利いているのが、韓国鍋料理の特徴。思いのほか具沢山で、プルコギ(すき焼き)用の肉も入り、コクを出している。例のジャガ芋麺はこの中に春雨のごとく添えられていて、煮込むほどドロドロに溶けて、妙な粘りと迫力をスープにもたらす。それまですっかり平らげて、いよいよテンカウント、ノーサイドの笛が鳴る。舌も存分に満足した、真の満腹がどっかりと訪れ、みんな羞じらいもなく腹をさする。
  「もうギヴアップ、喰えないよ」
 実はいじましくも脇に置いていたタッカルビの汁の残った皿は、すでにあっさり片づけられていたが、誰もそれを惜しむことなく、静かに胃の膨満感と闘いながら、二本目の真露のボトルを空にしたのだった。
 しかし、汗をドクドクかきながら、正真正銘ホットなスープを啜っていると、なんだか力が涌いてくる気がするのだ。それを証拠に、何度目かの寒波が襲い、凍てつくほど寒い日だったけど、われわれは燃えに燃えるエネルギーのやり場に困って、腹ごなしのつもりのカラオケに徹夜で興じてしまった。
 カラオケボックスでめいめい勝手に絶唱する、われわれの胸に響いていたもの、それは共通していただろう。梁の家の、客室から覗き見える厨房から漏れ聞こえてきた、小気味いい包丁がまな板を叩く音。これこそが旨い料理屋を証立てる、「蠱惑の」と形容するほかない、リズムなのである。


写真中央が鈴木隆祐さん。『チラシで読む日本経済』(共著)、ほかライターとして『”全身漫画”家』『シングルモルトを愉しむ』など(いずれも光文社新書)。


このあと朝までカラオケに「狂」じることになったのは、やはり「韓国料理の力」なのかも知れない。ところで、つけくわえなくてはならない。鈴木隆祐さんは遅刻したため、待ちきれなかった俺たちは、先に「海鮮チヂミ」を食べた。それはつまりチヂミなのだが、お好み焼だ広島焼だ明石焼だタコ焼だとグルメ騒ぎの日本人が、なぜこういうものを考えつかないのか、そのナゾを考えさせられるに十分なものだった。ああ、もう病みつきになりそう。
梁の家」は、山の手線新大久保駅、池袋寄り改札口を出て左すぐの、線路沿いの細い道を入る。タイ料理屋やミャンマー料理屋が立ちならぶ小路、中華料理屋の「麗郷」の先、左側にある。


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