ああ、1997年6月1日の大衆食の会通信

(どうでもよいことだけど、おれはこのころ、埼玉県与野市新中里5-20-4に住んでいた)



今回は「懐かしのハムカツ特集」です。そしてふだんこの通信をごらんになっていないかたにもお届けします。

去る3月21日発売(首都圏のみ)の『散歩の達人』4月号の特集記事「大衆食堂の逆襲」をご覧になったでしょうか。いまどきカマド炊きのめしがくえる朝霞の<かめさん食堂>をはじめ、数々の大衆食堂の健在ぶりが紹介されました。なんといっても、最初の扉ページの<たぬき食堂>の御主人の写真で、ドキッ!キマリっ! という感じでしたね。

この特集にはいろいろな後日談があるのですが、これからお知らせする「ハムカツ騒動」もそのひとつです。なんとすばらしいことに、昔のまんまの、うまいハムカツがいつでもくえる、ジャンクの風情もバッチリの店がみつかったのです。すでに御存知のかたは御存知でしょう。渋谷区道玄坂百軒店の一角にある<とりかつ>。無名文化財ハムカツともいうべき、このすばらしい店とハムカツを是非御賞味ください。ということ。

■月刊誌『散歩の達人』の「大衆食堂の逆襲」の最後におれは、「いつのまにか姿を消した『ハムカツ』を捜査中である」と書いた。それを見た文化放送の朝の番組「小西克哉のなんだなんだ」のスタッフから電話があったのは4月はじめだった。そして「ハムカツのある食堂をみつけよう」という騒ぎに。

■ハムカツサンドはある。配達弁当屋の弁当のおかずにときどき登場する。ときには安い日替わり定食のおかずにつかう食堂もある。しかし、かってのようにハムカツを「レギュラー・メニュー」にしている食堂は、最近ほとんどみかけなくなった。あれほど、ふつうのおかずだったのに。だからこそさがす価値があるというものだ。

■担当の放送作家グループの遠藤さんとリポーターの福田晃子(てるこ) さんから前後して電話があった。放送は4月21日の月曜日に決まっているという。ウヘッ、時間がない。けっこう必死な声だ。すでに食堂50数カ所に電話をかけまくっているがみつからないという福田さんの声はヒキツリ、緊迫感にあふれていた。おれに電話すればみつかる、というようなアマい期待もあったようだが、「簡単にみつかるくらいならあんなふうに書きませんよ…」おれは冷たく言った。想像していた以上にハードルは高い。

■ノンビリさがそうとおもっていたおれも、けっこうバタバタやりだした。かってたべたことのある食堂や肉問屋へ電話をする。だが、どこも懐かしがるだけ。そして「いまのひとたちはゼイタクになって…」などと。フムフムそうなの残念。ともかくなかなかよいアタリがないまま、おれは以前からの約束で田舎の春祭りへでかけた。威勢のよい祭りとうまい酒と採れたての春の山菜に酔い痴れハムカツのことなど忘れること数日。が、帰ってきて酔いから醒めてみれば放送日は一気にちかずいている。またバタバタと電話をする。アアッ、かあちゃん、福田さん、もうだめだ。

■と、福田さんから「あった!」の連絡。さすがプロ集団。そして21日の朝7時すぎ、やれやれたいへんだったの福田さんの元気な声が無事ラジオから流れた。よかったね福田さん。御苦労様。

■さっそく行きましたよ。往復900円の電車賃をつかって、ハムカツ+とりかつ+丼飯+味噌汁+たくあんで650円のめしをくいに。なんて安くてうまいんだ、それにくらべJRはなんて高いんだ。

■このハムカツが、まさしくあの昔の赤色の四角いプレスハムをつかっている。そしてあの渋谷百軒店の元道頓堀劇場の前の極細路地を入り、まだふつうの古い民家が古い狭い坂道沿いに残っているジャンクな一角にある雑居ビルの中の店で、いかにも昔の東京のしとという感じの70歳というがチャキチャキのおかみさんが、目の前でプレスハムをヒラヒラやりパン粉をたたき、サクッと揚げる(まさに揚げたてに庖丁を入れる一瞬「サクッ」という音が店内に響きわたるのだ)。口にすれば「うまい!うますぎる!」と、テレビ埼玉をみているひとたちのあいだでは有名な清酒力士のCMのことばがほとばしる。なつかしく、ジーンとシビレル味わい。

■さて簡単に申し上げる。ハムカツにはプレスハムが一番であるが、この「プレスハム」というものは「ハム」といっても、アチラ伝来のハムとはちがうものなのだ。戦後普及した日本独自の製法によるスグレモノで、もちろんこのプレスハムをつかうハムカツも日本で生まれ日本にしかないスグレモノだ。プレスハムはハムの代用品ではない。ハムカツだってトンカツやカツレツの代用品ではない。太郎は太郎であり次郎は次郎であるように、プレスハムはプレスハムだし、ハムカツはハムカツなのだ。独自の食品としての生命と文化がある。だからハムカツには、伝来製法の「本物」のハム、いわゆるロースハムやボンレスハムなどではだめだ。熱を加えたあとの縮みがひどいし歯ざわりは悪いし、塩味の加減がよくない。プレスハムでやるとひどい縮みがないし、塩の効き加減が、揚物には塩が合うというぐあいにまことにちょうどよい。プレスハムがあってハムカツは育ったといえる。

■おれがガキのころはハムといえばプレスハム。そしてプレスハムといってもいろいろでハムカツもいろいろだった。赤い丸いプレスハム、赤い四角いプレスハム、四角いプレスハムでも魚肉やでんぷんがたくさんはいった白っぽいテリーヌのような、ソーセージというもの。田舎町の肉屋の裏の小さな工場で勝手に作られていた。どれもハムカツになった。赤い四角いプレスハムのハムカツが、ひとつの定番スタイルとして定着しはじめるのは、日本農林規格(JAS)が制定された1962年ころからとおもわれる。いまでは、おれの住まいの近くのスーパーにはプレスハムそのものがない。だが日本の「ハム食文化」は伝来のハムではなく、プレスハムの創造によるものだということはまちがいないのだ■<とりかつ>では、きっちり厚さ4ミリに切ったプレスハムを使う。食べてみれば、なるほど、この厚さにも意味があるということに気づく。福田さんからいただいたレポートでは、おかみさんがこう言っている。「ハムの厚さは厚すぎてもおいしくないし、薄すぎると油の中でハネてしまう。これが一番ボリューム感もあり、いいハムカツらしさがでる」。(おかみさんにとってハムカツとは?の質問に)「昔っぽい感じで、お母さんの味を思いおこさせるもの。しかも、たべてボリュームがある。上品じゃないかもしれないけど、懐かしく親しみのある食べ物ですね」

■「ハムカツらしさ」。あたたかい、いいことばだ。ハムカツらしさ──無理矢理の厚化粧生活の中で棄てられていく、素朴な食欲、素朴な味覚、素朴な満足、のことではあるまいか。

■<とりかつ>には、ハムカツのほかに、とりかつ、とんかつ、コロッケ、魚や野菜のフライなど揚物がいろいろある。丼飯、味噌汁、たくあんに好きなもの2品選んで650円、3品選ぶと800円というシステムが基本。ハムカツは二枚で一組、Wで頼めば4枚たべて650円というわけだ。その他サービス定食などあり。たべおわったら自分で器をカウンターに返す。<とりかつ> 昼11時〜3時/夜5時〜8時 水曜昼のみ 日祭休み ハムカツがいつでもくえる。とりかつも独特のうまさ。揚物いろいろ、なんでもうまい。安いよ。カウンター中心の定員十数人。女性一人でも大安心。

■ハムカツ食経験者は30歳後半から上の年齢に多い。上京してから食堂でハムカツをくった地方出身者もすくなくない■できるだけ多くの方に<とりかつ>のハムカツをしみじみ味わってほしい。また、ハムカツに関する情報、思い出など、ひきつづき募集中。


さてところで、いろいろ消息をいただいています。吉良さんからは、京浜急行線立会川駅大井競馬場側でみつけた食堂のこと。堀内さんからは、このひとほんとうによく大衆食堂でめしをくっているゼ、といいたくなるほど最近の各地の食堂のことを(堀内さんは「場末の達人」であり、ソチラ方面の情報が多い)。大阪の、あの朝日新聞のときのマンガの森元さんからは、食堂のおばちゃんにバレンタインデーにチョコをもらってうろたえた様子。森岡さんからは電話をいただきました。河田さんからも電話をいただきました。河田さんと話をしているとシラフでもテンションが高くなる。「大衆食の会やりましょうよ。今度あつまりがあるときはカプセルホテルを予約しておきます。ギャハハハ」「ギャハハそこまでやるの」「だって私お酒のむと帰るのがたいへんだから。ギャハハハ」「ギャハハそりゃ飲み過ぎるからでしょ」「そうなの、ギャハハハ」と声がどんどん大きくなる、最後は電話機にむかって怒鳴るように話している二人だった。それから御徒町食堂の右高さんはじめ食堂の方からもお便りいただきました。みなさんありがとう。満足に返事もしないのですが、電話、Fax、お手紙などお待ちしています。それではまた。ハムカツ!


大衆食の会