ああ、2001年4月20日の大衆食の会

(この記事は、「ザ大衆食」の紙版2001年7月号に掲載の一部を、改訂し掲載するものです。2001年11月3日記)

いつものとおりなんだかわからん大衆食の会が、4月20日、巣鴨の地蔵通りときわ食堂で正々堂々と開催された。なにしろ近頃は大衆食の会をやるにも、場所に困る。大きめの食堂で、2テーブルぐらいは楽に占拠できるところでないといけないからだ。なかなかない。

で、元東京外語大生で巣鴨地蔵通りあたりをウロウロしていたミスターH原が教えてくれたのが、このときわ食堂だ。が、H原さんは、韓国の大衆食堂へ住み込み調査労働で出席できなかった。残念。

巣鴨地蔵通りは賑やかな観光地だが、観光地だから夕方5時ごろには、どの店もばたばた閉まってヒッソリとなる。しかし、このあたり一帯は古い住宅地でもあり、独居老人も多く、ときわ食堂は2軒あるのだが、どちらもすごい混雑する。だから念のために食堂集合せずに、とげぬき地蔵に6時集合にした。

おれは6時だいぶ前に、あそこの名物ナンパベンチに座った。池袋西口の名物ナンパ公園とちがって、年寄りばかり、圧倒的にババア。

おれの隣にもババアが2人いた。1人は帰ったが、もう1人は地元住人で帰らない。「さあ帰ろう、帰ろう」といいながら、ジリジリおれに近づいてくる。

約20センチの至近に、よせっ、やめろっ、おれもジジイだが好みがある。

と、「いま何時」ときた。おれは時計を持ってない。すると、「時計なら、ほらそこにあるよ」とすぐ目の前の柱にある時計を指し、自分で立っていって見て、「もうすぐ6時だよ」。

それならおれに聞くなババア。

それでお近づきの手続きがすんだのか、どんどんしゃべる。つめるだけのものをつめこんだ、もてるだけの紙袋をそばにおいて、ホームレスかと思ったが、臭くはないしアパートに住んでいるという。

通りを老人が行くたびに、あっ、ナントカさんが帰っていく、あのひとはね、と説明する。詳しい、おもしろい。ナントカさんはね、男のアパートに転がりこんでいたのだけど男が死んだらアパート追い出されて水戸の実家に帰ったよ。とか、知らない老人のことをつぎつぎに話す。

「老人ワイドショー」みたいで、おもしろがっていると、そのうち、「ときわ食堂でアジのたたきを食べるのがたのしみでねえ」と言う。オヤッこいつ、おれがときわ食堂へ行くの知っていてタカルつもりか、と思ったがそんなはずもなく、ようするにナマモノは身体によくないから食べないけど、ときどきときわ食堂のアジのたたきだけはくう、安いしうまいということだった。

そんな話をきいているうちに、初参加最年長を記録するミスターヨネジジイがあらわれる。そして初参加だが古いひと『大衆食堂の研究』のイラストレーター、ミズお尻とその夫のミスターお尻、その知人のミズ赤パンツが登場。

が、ときわ食堂が込み合っていて座れない。2軒を行ったり来たり。ミズ赤パンツが、あそこの有名なオバサン下着屋で毛糸?の赤?のパンツを買ったりして、大衆食の会は、いつものようにしだいに怪しい熱気を帯びていった。そして、とげぬき地蔵筋向いのときわ食堂に腰をすえる。

まもなく、おお、あの「散歩の達人」にも毎号登場する面白ライター、ミスターねこマンマが登場。このひとが散歩の達人にネコまんま研究をやったおかげで、まだインターネット上では、ネコまんま論議が続いているのだ。

そして、さあ真打登場。ドド〜ンドンの存在感、コノミさ〜んが。出版社は幕張でイベント、ブックフェアがあって忙しかったのに、駆けつけてきた。そして、小諸の揚羽屋で大衆食の会をやりましょうと見つめ合って、美しく誓いあったのだった。

そして、混雑しているときわ食堂を圧倒する騒々しさで食べかつ飲んだ。ときどきコワソウなオニイサンがガンをとばしてくるのにおれは気づいていた。

そして、巣鴨駅近くの飲み屋に流れたのだった。そして、約、そういうこと。
ものすごく食べたけど、メモするの、忘れた。

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