ああ、2000年9月1日の大衆食の会通信

■ 7月中に大衆食の会をやろうと思っていたのに、気がつけば 8月も夏も終わりだ。あいかわらず気ままだなあ。このいいかげんさが、たまらんなあ、残暑。

■まず皆様に悲しい現実のお知らせ(涙)。というのも、あの、いまや手に入りにくいがゆえに「幻の奇書」と評判の『大衆食堂の研究』が日本の書店に並んだのは 5年前の 7月です。つまり、あれから皆様5歳も、としをくってしまったのだ。どうだ、この現実。

あのころ50歳のひとは55歳になり、20歳後半の青年は30歳代のオヤジ、俺の肉体は毛髪も脳細胞も補給力が低下するし、イヒヒ 最年長のW女は還暦目前、ウフフ 20歳の大学生だったR女は25歳になっちゃった。

■R女は横須賀のひとだけど、なぜか下北沢の某喫茶店にあった本書を見て愉快な便りをくれたのだった。

それから清らかな文通が細々と続いているが、あの茶店は閉業した。そして、あの茶店に本書を持ち込んだのは、貧乏な俺のために本を一冊でも広めようと義侠の女、当時「下北の夜の女王」と噂のY女で30歳前半だったのだが。

あれから、Y女は縄張りの下北の酒場で年下の男をパクリ、さあ結婚式という前夜父上が倒れ寝たきりに、さらに看病中の母上が突然の他界という不幸の嵐の中で、波瀾の独身におさらば看病の結婚に突入したのだった。最近は夫も入退院をくりかえすし、いまでは30歳後半で「不幸の女王」「看病の女王」といわれている。

ああ 5年という歳月のすごさよ。とにかく5周年。

■駒込のたぬき食堂の御主人は、あれから、愛していた奥さんに先立たれ一人で昼食だけの営業をしている。ついこのあいだも『散歩の達人』に、またもや1頁ドド〜ンと登場、あいかわらずダンディ・ジジイぶりを発揮。75歳になった。頑張ってほしい。

■大正 7年(1918年)開業の笹塚の常盤食堂では、あれから、御主人の母堂で初代の奥様が90歳をこえる長寿で他界されたが、待望のお孫さんが生まれて、御主人は「マゴマゴ」おおよろこび。めでたい、めでたい。頑張ってほしい。

■亀戸の川崎屋は、改築して一気に今風のホワイト・ボードの建物になった。だが店のたたずまいに気取りは、あるはずない。「冷やしミカン」はメニューから消えたがトウフイタメは健在。

最近は行ってないけど、今年の始めの『週刊朝日』の特集「21世紀に残したいB級グルメ」なんとやらのラーメン編で、ここのカレーラーメンを推薦したが、やっぱり取材拒否だったから、あの独自の御主人は健在なのだろう。頑張ってほしい。

■根津のかめやはドド〜ンと改装。白木づくり風の、なんていうのかな、粋な格子戸がついて。おっ、これは、新しい大衆食堂のスタイルか。いや、江戸下町風のなごりの木造スタイルは、こんなあんばいなのだろうか。外から中が見えないというところが、やっぱり、いかがわしい伝統。

中が見えないと入れないという、意気地のない男があいかわらず多いらしいが、そんな連中に迎合していたら日本の意気地がなくなっちまあ。でも近頃は、客をよびこむために中が見えるように改装するところも多い、商売だから仕方ないか。日本の男は悲しい。

客席の配置は以前と同じ。メニューも同じで、あいかわらず安心のうまいおかず。後継の若い御夫婦が仕切っている。頑張ってほしい。

■西日暮里の竹屋食堂は東京へ出るたびにおじゃましているが、常連の顔ぶれがガラリ若返った。平均して20歳ぐらい若返ったような感じがする。俺は最年長クラスになったようだ。

平均40代の彼らは顔を合わせると、古い年寄りの常連が浮世から去る順番を予想して楽しんでいる。イヤハヤ、これで竹屋食堂も安泰だ。

しかし若い連中も貧乏人ばかり、ちゃんとアル中予備軍みたいなのもいるし。誰がアル中Kさん二代目か、誰が上野公園に転落するか予想したほうがおもしろそうだ。

そうそう若手常連のなかでも古株のSさんは結婚して赤ちゃんもできた。めでたし、めでたし。ま、常連も頑張ってほしい。

■朝霞のかめさん食堂は、かまど炊きめしで全国的に有名になったが、かわりない。おかず一皿付定食五百円、おかず一皿足すごとに百円プラスという方式も健在。開業半世紀になるのではないかね。

まわりは激しく再開発中でオシャレになっていくが、おかみさんは「私たちがやっているあいだはこのままです」と胸をはり、御主人は側でニヤニヤうなずく。例のポット式石油ストーブもそのままだが、壊れて何代目かになり、マッチの点火ではなくなった。ま、ストーブも頑張ってほしい。

■東中野の東中野食堂も元気だ。黄色いカレーライスをよろしく。あれが、むかし普及した、ふつうのカレーライスなのだよ。『週刊朝日』の特集「21世紀に残したいB級グルメ」なんとやらのカレーライス編で、ここを推薦して掲載になったのだけど、ほかは新宿中村屋など日本のカレーライスではない高級な「本場」「本物」系ばかり。

いくらなんでもおかしいだろう、だいたい一人前千円以上もするカレーライスがB級かい。

しかし、ここのメニューは数をしぼってあるのに、毎日かよっても変化のある選択ができる充実した構成で、じつにうまくできているなあと、あらためて感心。頑張ってほしい。

■埼玉は与野の横丁は、不況のなか苦労したが無事、開店三周年を迎えた。めでたいのう。『週刊朝日』の特集「21世紀に残したいB級グルメ」なんとやらのラーメン編で、ここのトロミのあるモヤシラーメンを推薦して掲載になった。いまラーメン屋に行列するような単純一律の評価基準しかないアホには、ここのうまさはわからないだろう。

B級グルメは、じつにおかしくなった。A級と同じ考え方法をB級にもちこんで偉そうにしているのだ。もっと多様な評価基準をもたなくては、B級の意味がないだろう。B級はヒマラヤ山脈じゃないんだよ、ふらりと毎日でも楽しめる近所の山じゃないか。

高尾山をエベレスト登山の感覚でうろついたらバカだろう。だいたいラーメンというものは、しかめつらしてメンやスープを確かめながら「勝負」なんていうかっこうをつけてくうもんじゃないぜ。いまアホな「ラーメン通」がラーメン文化を破壊しているのだ。

俺は横丁でイモサラダ(ポテトサラダのこと)にビールのB級が楽しみ。先日は、千葉のほうに引っ越した常連に会った。いまでも月いちは来るそうだ。すごいなあ。頑張ってほしい。

■こうやって書いていると、きりがない。また次の機会に。そういえば新宿のションベン横丁の火事もあったなあ、食堂の多い一角は無事だったが。そうだ、かんじんの『大衆食堂の研究』だが、予想もしていなかった出版社の三一書房の紛争で、本が書店で手に入らなくなるという事態にもなったのだ。

これには困った。ああ、もう大衆食堂の本も忘れられていくのか世も末だと絶望のとき、にもかかわらず図書館などで見て、昨年の末から3人のひとに連絡をいただいた。うれしいね。紹介しましょう。どうして『大衆食堂の研究』は、こんなにもひとの心を動かし続けるのだろうか、と俺がいうのは、おかしいか。

■その一人。新宿の司馬楽の御主人、M谷さんから共感の電話があったのは昨年の晩秋だったとおもう。さっそく司馬楽で忘年会をやった。白木の京格子をカラリとあけて入る雰囲気で、料理も京都のおばんさい風で、京風食堂居酒屋といったところ。

俺と同じ歳の、だが俺とちがって品の良い紳士のM谷さんは京都出身なのだ。

そうそう、この日、M岡さんの紹介で初参加のS木さんがいました。出身は東京の田無で、なかなか酒の飲みっぷりのよい青年フリーライター。

司馬楽は新宿区西新宿7-4-5 富士野ビル地下(3361-4869 。

■その一人。名古屋のH橋さんから感動のFAX と電話があったのは 3月頃だったかな。元気のよい声で35歳。看板屋さんだかペンキ屋さんだかで、以前は築地の市場にいたこともあり、スリランカにもいたことがあり、肉体労働を数々こなし、ところがナント実家が名古屋で食堂をやっているのです。しかも、かめさん食堂のように、かまど炊きのめしをくわせるそうだ。たしか昭和25年の開店だったかな。

それでH橋さんは、実家の食堂を継ごうとおもっているのだけど、食堂の未来を悲観してか御両親は賛成ではないらしい。どうしよう、食堂の将来はどうなのかと相談された。が、無責任で食堂がなくなっては困る俺は、大丈夫これからは大衆食堂のような、ふつうのまっとうなめしをくわせるところは生き残るのだと、自信たっぷりに主張した。

H橋さ〜ん、食堂の名前と住所、おしえてください、ここに紹介しようとしたのだけど、まだ聞いてなかった。

■その一人。某大学院博士課程のH原さんから電話があって東中野食堂で会ったのは、たしか 5月。論文を書くために、韓国の大衆食堂に住み込みで働き、また働きに行くとか。フィールド・ワークというやつですな。

韓国にしろ大衆食堂が論文のネタになるのかねと思ったら、H原さんは社会学系で「職業の差別観」といったあんばいのものがテーマらしい。韓国では大衆食堂は下の下の職業とみなされ長くやるものではない、 2年ぐらいで経営者がかわってしまうのだそうだ。

俺は、それはそれとして、大衆食の会で「韓国の大衆食堂を食べる会」なんていうのをやれるといいなあと、夢想するのだった。

H原さんは韓国に近い山陰の出身、鳥取だったか島根だったか。25歳、バンド「ソウル牛乳」を結成しドラムとベースをやっていた。いままた新バンドの結成をもくろんでいるらしい。

■そうそう 3月 4日(土)に大衆食の会をやったのだった。あまりにも地味な気分だったので忘れてしまったよ。浅草木馬亭で浪曲を見て、という企画だったが、この日はひどい雨と寒さで、ほとんどのひとが判断よく参加しなかった。

なにしろビンボー木馬亭は暖房不完全でありますからね、対策不十分の俺は風邪をひいて寝込むことになった。が、雨が降ろうが何が降ろうが誰かしら参加するもので、いままでの最低参加人員は俺とO野さんだけの懐かしの笹塚の常盤食堂があったけど、それを上回った。

地元のH内さん、それにW辺さんが浪曲途中であらわれた。浪曲が終わってから、木馬亭の前の、いつも家族で顔を見合わせては「今日も客がこねえなあ」とボヤいていそうな食堂で、 3人でシンミリ飲んでいると、H内さんの紹介によるM木さんという大学卒業直前の若者があらわれた。谷中の古い木造アパートに住んでいて、自分の部屋をギャラリーにしちゃってミニ・イベントをやり、独自に生きるひと。

M木さんは、その食堂で帰って、俺とH内さんとW辺さんは、近くの牛すじ煮込みの大鍋が店の前にデーンとある飲み屋へ。冷た雨がジトジト降っていた。もう誰も来ないだろうと思っていたら、雨に濡れたデカイ男が飛び込んできた。S木青年です。てきとうに捜してみつけてくれたのであります。いい根性。

W辺さんは一足先に帰り、あとは男3人。あのロックの一角は、土日でも競馬が終わると通りはガランとして人影はない。ここは地の果て人生の果てか、うらぶれ捨てられた廃都の安酒。店には俺たちだけ、ひっそり、外は雨。大衆食の会としては、めずらしく地味な気分で終わったのであります。

でも、ああいう都会の廃墟な感じの街を飲み歩くというのも、いいですなあ。ニヒルなハードボイルドの気分だったのに、風邪をひいてザマはなかったぜ。

あの小諸の揚羽屋
『大衆食堂の研究』は大衆食堂の系譜を「一膳飯屋あの小諸の揚羽屋 」に求めて文献に残る記録をたどった。その 184頁では、島崎藤村が明治30年代に信州小諸で過ごしたときの名作『千曲川のスケッチ』の「一ぜんめし」を紹介している。とても貴重な記録だが、そこに登場するのが「揚羽屋」という一膳飯屋だ。この店が健在なのだ。

教えてくれたのはK村さんです。すでに彼女は何度か通っては酔っぱらっているらしい。ついに俺も行きましたよ。皆さんにも是非とすすめたい。店内には、藤村が大正期にフランス留学から帰って再訪したときの直筆の看板が飾ってある。

その看板から文字を写しとった外の看板も『千曲川のスケッチ』のころのまま「一ぜんめし 御休處 揚羽屋」だ。しかし、それだけなら退屈な観光名所にすぎないだろう。ここは、そんなことはどうでもよいぐらい、かっての野心が時の流れるままに風化した跡をきざむ古い木造のたたずまいに、昔の一膳飯屋のままのメニューと料理がよいのだ。いまでは郷土料理といわれる昔の小諸地方の料理と地酒が、安い料金で堪能できる。

ひょっとすると毎日二日酔いじゃないのかねえとおもわれる、ちょっと憂いの漂う、ちょっとシャイな酒好き田舎おやじ風御主人がすてきだ。彼は、くわえたばこを離さない。くわえたばこでフラフラ近づいてくると「キュウリのにおいのするキュウリがあるけど、くわないけえ」と遠慮がちに言う。「どうやってくうの?」と聞くと「もろきゅうだい」。いいなあ。

厨房の方は、掃きだめに鶴といった感じで、茶髪にネールアートの今風の若い、涼しい眼の美女一人。しらあえやおからや揚げ出し豆腐や豆腐でんがくや味噌汁や鯉のあらいや鯉のうま煮やあゆの塩焼きや──がつくられる。『千曲川のスケッチ』でもわかるけど、揚羽屋の元は豆腐屋だ。それに、この地は麦や蕎麦が常食だったから、ちゃんとそばやうどんもある。

郷土料理は、芸術を気取ったビジネス志向やハッタリ民芸調板前料理によって多くゆがめられたが、ここは、はっきり、味噌汁ひとつ、昔の「田舎料理」の味が息づいている。つまり職人的虚構や文化人的無知に犯されてない、風土の日本料理がある。このうまさは、いまやめったに出会えない。店のたたずまいもひとも料理も、なにもかも自然体だ。

一ぜんめし定食千三百円だけど、品数豊富、ほかの単品がたべられなくなる。どの一品も、酒がどんどんすすむ。俺は同行のツマと昼めしに一ぜんめし定食と豆腐定食で飲み、それから標高2千bの秘湯高峰温泉で湯につかり、また帰り夕めしに寄って単品で一杯やってそばをたべて、気分よく日帰りした。また行くぜ。小諸市大手町1-3-17 小諸駅から徒歩数分。(0267-22-0382。木曜が定休(で確認したほうがよい。

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気取るな、力強くめしをくえ。汚い下品のどこがわるい。遠藤哲夫の痛快食本。もっと売れないと次が出ないぞ。いいのかそれで大衆食。ガハハハハ…………『ぶっかけめしの悦楽』読売新聞、北海道新聞、西日本新聞、日刊ゲンダイ、週刊文春 レモンクラブ、日経ビジネス、散歩の達人、本の雑誌、サライなどで話題になって発売中。弱小出版社・四谷ラウンド(TEL03-3358-0437)より1500円。
幻の奇書『大衆食堂の研究』が手に入る…………三一書房の無能な経営者のために書店で手に入らなくなった『大衆食堂の研究』は、組合が労働債権として確保している倉庫にあって、直接注文すれば手に入るそうだ。注文は三一書房労働組合──TEL03-3812-3132 FAX03-3812-3119 へ。大衆食堂を大事にしろよ。

大衆食の会