東京名物食べある記

著作者 東京市丸ノ内 時事新報社家庭部編著
発行者 東京市芝区明舟町十六番地 正和堂書房 
      電話 芝三二八一
昭和四年十二月十五日発行
昭和五年二月十日三版

定価 一円三十銭

(資料=南陀楼綾繁さん)




(2002年11月17日記)

この本は、
「『時事新報』の紙上に連載したのが、たちまち世間の評判の読物になった」
のを一冊にまとめたもの。連載は約2年間だから、昭和2年(1927)に始まったとみられる。

食べ歩きの歴史、ガイドブック史上でも食文化史上でも貴重な足跡を残す本だ。食べ歩きの歴史については、このサイトでもちょこちょこ触れていきたい。それはとうぜん、加藤秀俊さんが指摘の「外出文化」とも関係するのだが。

なお、ここに引用の文書の一部は、漢字、おくり仮名など、おれがイマ風に直しました。

はしがきに
「執筆の動機は云うまでもなく震災後の食堂繁盛、飲食店の続出に刺激されたもので、家庭人を呑吐することの特に多いこれらの食堂が、果して真に家庭人の享楽にあたいするかどうか、又どう改めたらよいか、家庭記者の立場からそうした店を検討する意味ではじめたのが食堂めぐりである。従って家庭人のことごとくが利用すると云ってもよい百貨店食堂を真っ先に廻ったもので」
とある。広告も百貨店食堂が多い。


東京名物食べある記、外箱と本体 大正モダニズムの雰囲気が色濃い装丁。左、本体、右、外箱。絵と装丁は、編著の時事新報絵画部河盛久夫さん。このころの製本については知らないが、本体の表紙は版画刷りあるいはスクリーン印刷風の布張りで、背のタイトル文字は、一つひとつ筆で書いたように文字がにじんでいる。すごい。おどろき。
挿絵、公衆食堂 この時代は、「大衆食堂」という呼称が、まさに生まれようとしていた。大衆食堂にとっては一つの「原型」ともいうべき、東京市営の「公衆食堂」、神田橋食堂と昌平橋食堂が載っている。

新聞読者の
「百貨店や銀座へんの食堂は僕たちには用はない。一つ僕たち行きつけの公衆食堂をまわってください!」という「一苦学生」からの葉書で行くことになったのだ……。

ほとんどの店に挿絵がついているのだが、この公衆食堂だけ唯一、学生(中央)と労働者(右端)が登場する。つまり、この時代の食べ歩き風俗は知識人中産階級と「婦人」と呼ばれるその女性たちがリードしていた。と、観ることができる。
高島屋食堂広告 ブックだが、広告がある。百貨店食堂の広告が多い。これは京橋の高島屋の食堂の広告。洋髪に振袖のモガ風女性、アールヌーボ調の絵。

「お買い物のお帰りに、御食事に御憩ひに………家庭的でお美味しい 高島屋皆様の食堂」


気になることなど


(2002年11月17日記)

この本一冊、1円30銭。ここに登場する大衆食堂の公衆食堂[神田橋食堂]の「今日の夕食」の定食が15銭。百貨店食堂の定食が、ほぼ50銭平均。すごい差。銀座資生堂のカレーライスは30銭。昭和2年に始まったばかりの、新宿中村屋のカレーライスは1円。いま新宿中村屋の、あらあら、名前は本場・本物を気どってか「インドカリー」だけど、1300円。

本のタイトルが、外箱は「喰べある記」なのに本体は「食べあるき」あるいは「たべあるき」といったぐあいで、表記がばらばらでも気にしてないふうでテキトウ、おおらかでいいなあ。

で、面白いことに、「カレーライス」と「ライスカレー」も両方あって、どうもメニューからして、そのようである。いま、この違いをとりあげて、知ったかぶりのもっともらしいウンチクを傾けているひとがいるが、料理的には意味がない。テキトウだったのだ。

今日は、ここまで。続く。



(2002年11月25日記)

この連載から発刊の時代というのは、昭和2年に始まる金融恐慌が深刻さを増していた。昭和4年は、「大学は出たけれど」が流行語になった。大学は、いまとは比べものにならないエリートの集まるところだったが、大卒の就職率12%で就職難は深刻だった。

そればかりか、時代はかなりきな臭くなっていく。連載が始まった昭和2年(1927)、日本軍は中国国民革命軍とたびたび衝突、田中義一政友会内閣誕生、5月山東出兵。昭和3年、共産党への大弾圧始まる、張作霖日本軍によって爆殺、治安維持法に死刑と無期を追加、特高設置。昭和4年(1929)、山本宣治暗殺、浜口雄幸首相「経済難局の打開について」、10月24日ニューヨーク株式暴落、世界恐慌。そして、12月15日に本書の発刊。

されど、ひとは食べなくてはならないのであり、食べるのであり、食べるのやっとの欠食児童もいれば、食べ歩きを楽しむひとあり。

昭和4年、楽満斎太郎『日本料理通』。昭和5年、野村雄次郎『天麩羅通』、村瀬忠太郎『蕎麦通』、永瀬牙之輔『すし通』、松崎天民『京阪食べある記』。昭和6年、松崎天民『東京食べある記』

本書は、そういう、いま風にいえば「グルメ本ブーム」のさきがけとなったものといえそうだ。中国大陸では殺戮、本土では貧困と失業と食べ歩き。いまの地球上も似たようなものか。

ま、なにはともあれ、東京は関東大震災から7年、
「大正みづのと亥の震災に、跡方もなくなった東京の下町一円が、それよりして七年ばかり、ともかくも、今日のこの姿に生まれ変わった」ばかりであり、その「新東京の情景を眺めると、とりわけ繁盛は食べもの商売、さすが、昔も江戸の食い倒れといった、その土地柄に背かぬものがあるようだ」
という有様だった。

東京は大震災でずいぶん変わったらしい。なにしろそれまで下町には江戸の家並が残っていたのだが。消えたのはその江戸の家並だけではなかった、その家並に寄り添うように残っていたものすべてが変化にさらされたのだ。

「よろず、ものの様子に、震前と震後と、そこには、時の格段の推移があったことを思わせる。それこれ、名を得た食べものについて考えてみても、きのうの名物はきょうは亡びて、きょうの名物がきのうに代わってしまっているのが誰の眼にも映るのである」

近代の食や料理を考えるとき、この時代の「変化」を知ることが、どうしても必要になる。

今日は、ここまで。続く。

食文化本のドッ研究