『男のだいどこ』 荻昌弘著


第1回(2002年8月19日記。文春文庫版)

とにかく、書き始めましょうか。
とにかく、これは何回かの見通しナシ連載ということです。
とにかく、この本は軽快すぎるほどの戯作調で書かれていて簡単に読めるのだけど、じつに複雑な事情を抱えているのでありますね。それはそっくりそのまま近年の「グルメ」が抱えた複雑な事情といえそうなのだけど。

そもそも荻昌弘さんというひとは、先年亡くなられたが、もとはといえば映画評論家でテレビでも映画解説をしたりだったが、彼は、この本あたりを皮切りに食エッセイを書きまくりしゃべりまくり、「初代グルメタレント」の称号を与えたいぐらい、グルメの時代の誕生とバカ騒ぎに深く関わり、かつそれを痛く反省したりしながら死んでいったひとなのですね。

とっても複雑なグルメの時代と複雑に関わっていたから、おれの頭もこの本を読みながら複雑に怪しく怪しくなり、とても一度に書ける気分も見通しもないのですね。

ところで荻昌弘さんの食エッセイの代表作というと、1972年刊行の本書、それから76年刊行の『大人のままごと』、それから83年の『歴史はグルメ』ということになるでしょう。

で、本書が生まれた1970年代の前半というのは、まだほとんどの大衆は「グルメ」なんていう言葉も知らんわけです。ま、こんにちのグルメとは大分ちがうと思いますが、「食通」という言葉が一般的でした。で、食通というのは、一般大衆が簡単になれるものではない存在だった、といえるわけです。

グルメやグルメという言葉が社会現象となるのは、1980年代になってから、急速でしたが、1970年代後半では、まだグルメという言葉は、ごくわずかの先端的専門家のあいだで使われていたていどといえるでしょう。

なにしろそのころは、かの日本初の「料理評論家」の肩書で有名な山本益博さんは、まだ「落語評論家」で細々やっていたぐらいで、その目鼻を利かせて、儲からない「落語評論家」から儲かる「料理評論家」に乗り換えるのは1980年代早々のことなのです。

ちなみにマスコミが「一億総グルメ」などと騒ぎだしたのが1985年ごろ。バブル経済の始まりは翌年。そして87年に「グルメ」は流行語になって知らないひとはいないぐらいになりました。

で、えーと、本書は、そもそも1969年(昭和44年)から1971年(昭和46)にかけて、『別冊文藝春秋』に書いたものを72年(昭和47)に単行本化し、76年に文庫本になったという経緯があります。これ、そっくり、「グルメ誕生前夜」ともいえる時期なのですね。

で、この本は、「君子、厨房に入る」「食うを語るはミットモないか」の大見出し中見出しではじまるわけです。この見出しが、どんなに挑発的扇動的魅力的であったか。それは、ここで前回と前々回に『水のように笑う』「ヒロシ君と戦争』でも述べたように、「男子厨房に入るべからず」「男が食うを語るはミットモない」といった戦前からの風潮があったからなのですね。

1960年代後半ごろでも自民党代議士は、堂々と、「女は家庭にいるべきだ」と演説してましたよ。保育園への補助金などは、「貧困家庭救援対策」のように考えられていて、微々たるものでした。

70年代前半ぐらいまでは、スーパーのレジに並ぶ男は、混雑しているときでも、2、3人というありさまで、ま、おれはよく家事をするほうだったし、オシゴトも食品のマーケティングという関係があって、よく並んでいたのですが、ほんとうに男の姿が見えなくて、よかったです。

ま、そういうぐあいに男は肩肘張って「男だ男だ、どうじゃ男だ!」をやっていたのでありますから、この見出しに怒ったやつもいたでしょうが、拍手を送ったほうが多かったと思います。そういうふうに時代が変化するところだったのです。

ま、実際に時代は簡単に変化し、70年代後半には、団塊世代ヤングカップルは二人で食事のしたくがファッションになったり、男子厨房に入ろう会ができて話題になったりと簡単に変化していくわけだけど、それじゃあ、戦前の国家主義でシッカリ教育された文化は同じように簡単に変わったのか、というとそうは簡単にいかない。そのへんがじつに複雑で、その複雑な様子が、本書では見られて面白いのですが、疲れるのです。

では、疲れたから、ここで第1回おわり。まだまだ続きます。

食文化本のドッ研究